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トピックス 白血病と闘った8才の少女「ハンナちゃん」

2007年3月28日

トピックス 白血病と闘った8才の少女「ハンナちゃん」

私、おかあさんのためにダイアモンドになりたい。

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ハンナちゃんの実の母スージー ローレイ(Susi Rowley)より

生後6ヶ月で言葉を発していたハンナは周りから天才児と呼ばれるほどでした。神からこんな素晴らしい贈り物を頂くことはきっと彼女が果たすべき使命があるからだとしか考えられませんでした。そして3歳の時に洗礼を受け、神の子として生まれ変わったのです。信仰心が強かった娘は、神の力になれることを心から喜び周囲に幸せを運んでくれる天使となりました。

洗礼を授かった数ヵ月後に娘は小児白血病と診断されました。医者には治る可能性が非常に低いと判断され、抗癌剤治療によって辛い副作用が続いたため使用量を減らすしかなかった時、誰もが絶望に打ちひしがれる日々を送ると思っていました。しかし、私の娘は最後まで生きる意欲を失わなかった。病気と闘う前向きなハンナの姿勢は逆に私達を勇気付けてくれていた気がします。そんなハンナも8歳の女の子。周りの子供たちと同じ遊びをしたい年頃、でもちょっとした埃でも免疫力が低い娘にとっては大変危険なことでした。細心の注意を払うため、マスクは乗馬好きな娘にとっては欠かせない必需品となりました。病気なのにも関わらずハンナはいつも笑顔で馬を乗り続け、周囲から愛され慕われてきました。


ハンナは8歳の誕生日に素敵なプレゼントをもらい、彼女にとっては掛け替えのない宝物となりました。歌と踊りが大好きな娘は、教会の合唱団指揮者からギターを頂いた時、嬉さのあまり飛び跳ねていました。知り合いにレッスンを受けることになり、どんな曲が弾きたいかと訊かれるとハンナはゴスペルで有名な「Mercy MeのI can only Imagine」と答えると周りは驚きを隠しきれませんでした。きっと普通の8歳児とは思えないほどに大人びて見えたのでしょう。同年代の子達からもハンナが使っている単語がわからないと言われることが多く、娘に注意をしたら「7歳だからって、子供扱いしないで!」とよく怒られたこともしばしば。二つ目にもらった素敵なプレゼントはビーズのアクセサリーキット。長い病院生活で楽しむために娘と二人でよくアクセサリーを作っていました。そしてなんとその出来上がった作品は評価が高く、買いたいという人が現れ次第に小さな病室からアクセサリー屋に変わっていきました。アクセサリーを創作する才能もあるが、人を喜ばせる才能があると改めて実感しました。

白血病と闘っている中、薬や抗癌剤を使用しなかった日数は4年9ヵ月半のうちたったの6週間だけでした。その6週間の間は大分体調もよくなり、大好きな乗馬もマスクなしで乗れたほど。ハンナは自分の身体のことをよく理解していたため、最後の一年は自ら自分の身体に合った治療法を選んでいました。

そんなハンナがライフジェムの存在を知ったのは亡くなる5ヶ月前のことでした。その時お見舞いにきてくれていた親友がテレビで見たらしく、当時のハンナは素晴らしいと思ったが自分がダイヤモンドになる希望はその時はなかった。そもそも入院することになった理由は5週間半前に家でハンナが急に腹痛を訴えたためでした。救急救命室に急いで駆け込み夜遅くまで検査が繰り返された。最終的に下された診断は盲腸炎でした。一般的には抗菌薬を処方され、ひどくても手術をすれば現代医学では治ることは可能な病気です。しかし癌細胞が多く、白血球が減少している娘の身体には致命的。

日に日にハンナの体調は悪化し、脈拍も計測することが不可能なほどの状態に。病院側からはあと数時間の命と告げられるほど病状は進行していたが娘は諦めなかった。その晩、残り少ない力を振り絞り「癌でもないのに、なんでこんな感染で死なないといけないわけ?私は死なない!」と泣き叫んだ。それから娘は必死に闘い、9日間何も喉が通らないほど辛い日々が続きました。そんなハンナの状態が知れ渡り、友人や親戚が面会にきてくれました。受付では77人以上超えた時点でバッジを渡さなくなり、中にはバッジなしでハンナにこっそり会いにきてくれた友達もいました。

ハンナの頑張りは新聞記者にも知れ渡りました。一生懸命病気と闘っている娘の姿に心を打たれた記者は「奇跡の月曜日」と書いた記事を掲載した。その奇跡の月曜日は医者に死の宣告をされたが神に救われた日のことです。その月曜日から9日後にはほんのちょっとですが食べられるほど回復しました。そんな苦しみの中でも彼女は自分のことより家族や友人のことを先に考え,お見舞いに来てくれる人達のために病院の売店でプレゼントを毎日欠かさず買っていました。

娘は生と死の大切さを気付かせてくれました。亡くなる一週間前に隣の病室で少年が息を引き取った時私は「なんで死んだのかな?」と口にしたら、娘は「違うよ、お母さん。死んだんじゃない。神様が呼んだだけだよ。」と教えてくれました。そしてその晩、「私の苦しみによって周りが神にもっと近づけるのであれば、ずっと病気でいる」と聖書を読み上げている私に言うのです。ハンナは神のためなら自分がどんなに苦しくても、どんなに辛くても頑張れるのです。とても優しくて芯の強い娘は私の誇りでした。


そして亡くなる何日か前に娘は頼みがあると言ってきました。「神様は今でも私の病気を治してくれると信じてる…でも万が一天国に呼ばれたらその時はお母さんのためにダイヤモンドになりたい」その他にも馬を手放さないことと初めてもらったギターを大切に持ち続けるということでした。じきに神が迎えにくることを実感したハンナの不安と恐怖が消えるようにみんなで祈り続け、そして娘は落ち着きを取り戻し、一人一人にお別れの言葉を告げた。最後に私の目を見て微笑みながら「天国に着いた」と呟き、旅立ちました。

ハンナは天命に導かれるままに最後は安らかに息を引取りました。娘がいない世界は寂しいけど、神のために身を捧げ今は神の元で元気に生きていると信じています。ハンナは多くの人に愛と勇気を与えてくれた天使。私達家族の人生が彼女のおかげで変わったように、みなさんもハンナの頑張りを知ることによって勇気をもらえることを心から願います。ハンナ、本当にありがとう。