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日本人はなぜ遺骨を大事にするのか(4)

2019年6月17日

今年の5月1日、徳仁親王が第126代の天皇に即位され、元号が「平成」から「令和」に変わりました。

「令和」は元号としてはじめて、漢籍ではなく日本の古典(国書)である「万葉集」から採用されたことでも話題になりました。

 

万葉集は日本最古の和歌集で、天皇から貴族、農民まで様々な身分の人が詠んだ4500首以上を集め、奈良時代の終わり頃、8世紀後半にまとめられたとされています。

 

万葉集にはいくつかの分類があり、そのうち亡くなった人を追悼する「挽歌」は263首、全体の6%ほどにあたるそうです。

 

その中には、当時の葬法をうかがわせるものもあります。

 

秋津野を 人の懸くれば 朝撒きし 君が思ほえて 嘆きはやまず

 

※秋津野(あきづの)…奈良県吉野町あたりともいわれるが詳しくは分からない

※人の懸(か)くれば…口の端に乗せて話題にすること

※朝蒔(あさま)きし…今朝、散骨してきた

 

つまり、「秋津野のことを人が話すのを聞くと、今朝そこに散骨してきたあなたのことが思い起こされ嘆きは尽きない」という意味です。

 

玉梓の 妹は玉かも あしひきの 清き山辺に 撒けば 散りぬる

 

※玉梓(たまづさ)の…梓の小枝に文を結びつけてやり取りしていたという意

※妹(いも)…恋人や妻

※あしひきの…山にかかる枕詞

※玉(たま)…木の実のこと

 

こちらは、「玉梓の使いを介してやりとりした彼女は、清らかな山辺に散骨して玉になってしまったなあ」という意味です。

玉は梓の木の実ということですが、魂にも通じるように感じます。

 

この歌には別バージョンもあります。

 

玉梓の 妹は花かも あしひきの この山蔭に 撒けば 失せぬる

玉梓の 妹は妹かも あしひきの 清き山辺に 蒔けば 散りぬる

 

こちらは「玉」が「花」や「妹」に変わっていますが、それぞれ散骨した人の魂の行方を案じているように感じます。

 

これらの歌は現在でいえば「散骨」による弔いを詠んでいますが、骨を拾う習慣もあったことが伺える歌があります。

 

 

鏡なす わが見し君を あばの野の 花橘の 珠に拾いつ

 

※花橘…常緑樹の橘は古来めでたい木とされており、またその花は夏を代表する花として好んで詠われた

 

「鏡のように美しく大切な人と思ってきたあなたのお骨を、あば野(奈良市春日野付近などと言われるが不詳)で荼毘に付し、花橘の実のように拾いました」という意味です。

 

ただし、この「珠に拾いつ」について、民俗学者の折口信夫はたんに火葬の後の骨(こつ)あげを意味するのではなく、むしろ殯(もがり)を経てのことではないかと考えていたようです。

 

これらの歌は、万葉の時代において遺骨をどのように扱っていたかの貴重な資料とも言えそうです。

 

※参考:山折哲雄『死の民俗学』(岩波書店、1990)

 

 

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