日本人はなぜ遺骨を大事にするのか(8) ―中世に始まる庶民の納骨信仰の意味―

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日本人はなぜ遺骨を大事にするのか(8) ―中世に始まる庶民の納骨信仰の意味―

2019年7月24日

日本人が昔から、遺骨を大事にしてきた様子を様々な角度から見てきましたが、もちろんそれはずっと同じようなものではなく、時代によって変化がありました。

 

例えば、古代から中世への過渡期にあたる平安時代(794年-1185年)には、律令制や陰陽道による触穢思想の影響から、貴族の間で遺体や遺骨に触れることを極端に忌み嫌う傾向が強まりました。

 

庶民も含め、遺体をそのまま道端や野山に放置するのが当たり前。古くからの埋葬地とされてきた京都の鳥辺野や化野(あだしの)には多数の遺体が放置され、羅城門の上にまで棄てるものがあったといいます。

 

しかし、藤原道長(966年-1027年)の頃になると、少しずつ変化が現れました。

道長は藤原氏の埋葬地であった木幡(現在の京都府宇治市)に菩提寺を建て、先祖の遺骨を弔いました。これが次第に貴族層の間に広まり、火葬骨を祭祀する習慣が広がっていったようです。

 

さらに、現在の納骨の風習の源流となったと考えられているのが、高野山への納骨・納髪です。

 

高野山への納髪は、堀川天皇の崩御(1107年)に行われたのが最初とされます。

納髪・納骨の風習は天皇や貴族の間に定着し、やがて高野聖(こうやひじり)の活動によって庶民の間にも急速に広まっていきました。

 

高野聖とは、高野山に住んでいた遊行の僧たちです。

勧進(かんじん)と呼ばれる募金活動のため、高野山から全国各地に出かけ、高野山と関係を結ぶこと(結縁:けちえん)を勧めて歩きました。その中に、納骨も含まれていました。

 

このように、十一世紀頃を境にして、とりわけ貴族のあいだに遺骨(火葬骨)に対する観念や態度の変化が起こり、さらに十二世紀になると高野山への納骨が一般化し、遺骨の保存とは遺骨の尊重という観念が生まれたというのです。

 

このプロセスの奥にはやはり、古代の「殯(もがり)」をはじめ日本人独特の心性があったはずです。

 

そもそも納骨の目的は、特に庶民信仰においては、死者の鎮魂供養にあります。

 

納骨信仰は古代に行われた殯の葬法が表面だけ仏教化したものであって、わが国独特の葬制であると説く専門家もいます。

 

庶民の納骨信仰は、かならずしも骨そのものに対する崇拝ではなく、むしろ祖霊信仰の表現であったというのです。

 

亡くなった先祖の霊が移った遺骨を供養する。

納骨はそのための「霊移しの儀礼」である。

 

この考え方は、多くの日本人にとってしっくりくるものではないでしょうか。

 

風葬(殯)の行わる場所は穢れが多く、誰も足を踏み入れようとはしませんでした。

そこで、遺体から遊離した霊魂を、死穢にみちた場所から神聖な場所に移して鎮める儀礼が重視されるようになったのです。

 

遺骨は霊が移った依代(よりしろ)であり、鎮魂の儀礼を完成させるためのエッセンスです。

 

そう考えると、遺骨からつくられるダイヤモンドもまた、現代の先端技術が可能にした「霊が移った新たな依代」といえるかもしれません。

 

※参考:山折哲雄『死の民俗学』(岩波書店、1990)

 

 

 

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