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世界的に珍しい日本人とジュエリーの関係

2020年8月6日

日本でも、古代の遺跡から多くのジュエリー(装飾品)が発見されています。

縄文時代の遺跡からは石や貝殻の首飾り、腕輪、耳飾りなどが発見されており、弥生時代になると青銅など金属を加工したものも見つかります。

 

大和朝廷が成立した古墳時代になると、権力の象徴として、また重要な儀式における備品として様々なジュエリーが用いられました。

それとともに、民衆の間でもおそらく、樹木や動物の骨などを加工した身近な装身具もあったのでしょう。

 

ところがその後、日本人とジュエリー(装飾品)の関係は、世界的にみても特殊な歩みを始めます。

飛鳥時代から装飾品は姿を消し、明治時代までのあいだほとんど見られなくなったのです。

 

理由はよく分かっていませんが、高貴な女性の場合、十二単のような幾重にも重ね着する衣服が関係しているといわれます。

重ね着すると動きにくくなり、何より身体で露出する部位が少なく、装身具をつけても見えません。

日本の上流階級におけるオシャレは、衣服に重点が移ったともいえるでしょう。

庶民の風俗は、上流階級に影響されるところがあるので、民間でもほとんど装飾品は見られなくなったと考えられます。

ちなみに、戦国時代、日本にやってきた宣教師は、日本では真珠がジュエリーではなく薬として用いられていることに驚いたという話があります。

 

江戸時代になり、長崎などを通じて海外のジュエリーが多少、入ってきたものの、あまり広がらなかったのは、何のために使うのかが分からなかったからだそうです。

庶民の間ではむしろ、根付(ねつけ)、帯止め、櫛(くし)、髪飾り、簪(かんざし)、印籠、煙草入れなど、衣服と髪に関係する小物が、日本独自のジュエリー(装飾品)として発展を遂げました。

 

 

ヨーロッパのジュエリーが本格的に日本に入ってきたのは明治時代になってからのことです。

明治初期、文明開化の頃には、一部の上流階級の間で欧米的なジュエリーに対する認知度が高まり、洋装とともにファッションとして身につける女性の姿も見られるようになりました。指輪をつけた日本人女性の写真や絵画などが登場してくるのも明治時代になってからのことです。

 

日本人と欧米的なジュエリーとの付き合いはそう長くはありません。それゆえ、これからはもっと身近に、ジュエリーを日常の生活に取り入れていくとよいのではないでしょうか。

 

 

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