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お墓と弔いの歴史(8)法隆寺五重塔にはダイヤモンドが納められている?

2021年5月20日

お墓と弔いの歴史を振り返るこの連載。

今回は、日本で最古の塔である法隆寺五重塔にまつわる話です。

 

 

仏陀の遺骨を納めるためにインドで生まれた「ストゥーパ」。それが中国に伝わり「卒塔婆」として木や石の塔になり、さらに日本に伝わって三重塔や五重塔になりました。

 

このうち、今も現存する日本最古の塔が、聖徳太子を祀る法隆寺五重塔です。

法隆寺は7世紀初頭に建てられ、その後いったん焼失したものの8世紀に再建されたと考えられて、世界最古の木造建築として現在、世界文化遺産に登録されています。

 

法隆寺五重塔断面図

https://www.nikken.co.jp/ja/about/corporate_history/12_03.html

 

五重塔の目的は仏舎利(仏陀の遺骨)を納めることですが、飛鳥・白鳳時代の仏塔では、心柱の下の地中に埋設する方法がとられました。

五重塔の心柱の根元を支える礎石(心礎)に孔を穿ち、そこに仏舎利を納めた容器を置き、上から蓋をするように心柱を立てるのです。

 

法隆寺五重塔の心礎に納められた仏舎利は、実はダイヤモンド(金剛石)であるという話があります。

『五重塔入門』(新潮社)の中で、著者の一人である建築史家の藤森照信氏は、「実際に収まっていたのはダイヤモンド(金剛石)だったと、心礎をはじめて発掘調査した関野貞のご子息の関野克先生から聞いたことがある」と述べているのです。

 

関野貞は建築史学者で建築家であり、東京帝国大学名誉教授を務めた人です。

『新・法隆寺物語』太田信隆著(集英社文庫)によると、関根教授による発掘調査は次のようなものでした。

当時、白熱していた法隆寺再建論/非再建論の中で(関野貞は非再建論)、大正15年、心礎の調査を行うことになり、奈良県の修理技師が五重塔の須弥檀の下に入り、心柱の下に腐食による空洞を発見しました。

空洞は径約1m深さ2mで、その下に心礎があり、中央に銅製の蓋がありました。

銅蓋の下の舎利孔にはきれいな水が満ちていて、そこに直径15㎝ほどの銅合金の碗が浮いていました。その中に金銅製の壷があり、鏡が立て掛けてありました。

壷の中には銀の容器があり、さらにその中に純金の容器があり、ガラスの瓶が入っていて、瓶には瑠璃玉、真珠、水晶などが納められていたといいます。

当時、この調査に関わったのは法隆寺住職と関野貞らごくわずかの研究者だったといいます。そして、舎利容器はその日の日没後、元の塔に下に納められました。

 

この瓶の中にあったのが実は、「ダイヤモンド(金剛石)」だったというのが、先ほどの藤森照信氏のコメントの意味でしょう。

実は、インドは昔からダイヤモンド(金剛石)の産地として知られており、インドから中国を経て「仏舎利」としてダイヤモンド(金剛石)が伝来した可能性は十分考えられます。

ただ、当時はダイヤモンド(金剛石)の研磨技術はなく、おそらく原石のままの形だったのではないかと思われます。

 

なお、舎利容器は昭和24年、五重塔解体修理にあたって再び取り出され、詳細な調査が行われましたが、舎利容器の中に何があるのかは記録がないようです。また、その後、保存上の理由で舎利容器は特注のガラス容器に入れられて舎利孔に戻され、空洞はコンクリートで固められ、その上に心礎が建てられました。

そのため、塔を解体しない限り、再び舎利容器を取り出すことはできなくなりました。

 

国宝であり、世界遺産にも登録されている法隆寺五重塔。その心礎にはダイヤモンド(金剛石)があるとしたら、とても興味深いことではないでしょうか。

 

図表 法隆寺五重塔心礎空洞実測図と心礎出土舎利容器

参考:http://www7b.biglobe.ne.jp/~s_minaga/iti_fukkiji.htm

 

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