古代日本における死生観(1) 「黄泉国(よみのくに)」
前回まで仏教における死生観の変遷を見てきました。現代の日本人に仏教の死生観は大きな影響を与えていますが、それとは別に仏教伝来のはるか以前から日本人が抱いてきた独自の死生観があります。古代における日本独自の死生観がどのようなものだったのか、見ていきましょう。
古代の日本人は、人が死んだらどこへ行くかについてどのように考えていたのか、とても参考になるのが『日本書紀』における「黄泉国(よみのくみ)」の話です。
「黄泉国」は死後、死者の魂が赴き、死者が住む国とされます。
「黄泉」という文字(漢字)は、中国で死者の赴く所を「黄泉」「泉下」といったものを取り入れたとされます。中国では「黄」は土の色を著し、そこから「黄泉」は以下にある泉という意味になります。
一方、「ヨミ」という言い方は日本語であり、「ヤミ(闇)」や「ヤマ(山)」の類義語とされます。
古代の世界では、人々が生活する集落とそれを取り囲む身近な自然、さらにその外側に人がめったに立ち入らない山や海、原生林が広がっていました。
そして、人が亡くなると集落から離れた山中や海辺の洞窟に遺体を遺棄していたようです。こうした場所からイメージされたのが「黄泉国」だったのです。
空間の広がりが人々の意識の中で構造化(イメージ化)されるとき、横の広がり(垂直方向)と縦の広がり(水平方向)という2つの方向性が考えられます。
そのうち縦の方向性(垂直方向)おいて成立したのが、天上、地上、地下の3層構造です。具体的に『日本書紀』や『古事記』では、
天上=高天原(たかまがはら)
地上=葦原中国(あしはらなかつくに)
地下=黄泉国(よみのくに)または根の国
という分類が認められます。
こうした空間の縦の3層構造は他の民族の神話にも広くみられるものです。
さて、このように古代の日本人にとって死者が赴く先としての「黄泉国」を描いたのが、『古事記』に出てくる伊邪那岐命(イザナギノミコト)と伊邪那美命(イザナミノミコト)の神話です。
イザナギとイザナミは、神世七代の最後に生まれて夫婦となり、淡路島、隠岐島をはじめとして日本列島をつくり、山や海など森羅万象の神々を産んだとされます。
イザナミは国産みの最後に火の神である火之迦具土神(ヒノカグツチノカミ)を産んだ時に大やけどを負い亡くなってしまいます。
夫のイザナギはイザナミを黄泉国まで追いかけていき、地上に戻るように懇願します。イザナミはすでに黄泉国の食べ物を口にしており、黄泉津大神(ヨモツノオオカミ)と話し合うので、その間は自分の姿を見ないでくれとイザナギに言います。
しかし、時間がかかるのでイザナギは櫛の柱を折って火をともしました。
すると、そこに現れたのはひどく腐敗したイザナミの姿でした。驚いたイザナギは逃げ出しますが、恥をかかされたと激怒したイザナミがその後を追ってきます。
そして、この世(葦原中国)との境にある黄泉比良坂(よみのひらさか)まで逃げてきたイザナギは巨石で通路を塞ぎ、イザナミと絶縁したといいます。
※島根県松江市東出雲町にある黄泉比良坂と伝わる場所
https://www.kankou-shimane.com/destination/20332
ここに描かれた黄泉国は闇に満ちた暗黒の世界であり、肉体が腐敗していく死者の姿がリアルに想定されていることです。
また、神も人間も関係なく、善人も悪人も区別なく、死んだ者はすべて黄泉国へ行くことになっています。
一方で、黄泉国はこの世(地上)とつながっていて、その気になれば行き来するもできると考えられています。
こうした点には、これまで見てきたエジプトやインドの古代の死生観とはどこか違う、古代日本人の独自の感性があるように感じます。
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