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古代日本における死生観(2) 「常世国(とこよのくに)」

2022年6月13日

仏教伝来のはるか以前から日本人が抱いてきた独自の死生観について、今回は「常世国(とこよのくに)を取り上げてみます。

 

 

古代の世界において、空間の広がりが人々の意識の中で構造化されるとき、横の広がり(垂直方向)と縦の広がり(水平方向)が考えられます。

このうち、縦の広がり(垂直方向)おいて成立したのが、天上、地上、地下の3層構造であり、『日本書紀』や『古事記』では、

天上=高天原(たかまがはら)

地上=葦原中国(あしはらなかつくに)

地下=黄泉国(よみのくに)または根の国

として描かれています。

 

一方、横の広がり(水平方向)において成立したのが、海のかなたにあるという「常世国(とこよのくに)」です。

「常世」とは永遠不変という意味で、海のかなたにあるとされた理想郷とされていました。

 

例えば、『日本書紀』では、貧しい者を富ませ、老人を若返らせるという常世神の信仰が東国で流行したことが記されています。

 

また、『万葉集』には常世国を詠んだ歌が数多くあり、そこでは永遠の生命と豊穣をもたらす祖霊の国として考えられていました。

 

常世国の大きな特徴は、永遠の理想郷でありながら、前回の黄泉国と同じように、この世と行き来できる世界だということです。

そのことがよく分かるのが、「浦島太郎」の伝説です。文献上では『日本書紀』や『丹後国風土記逸文』に記載があり、『万葉集』には次のような高橋虫麻呂作とされる有名な長歌があります。

 

春の日の霞める時に 墨吉(すみのえ)の岸に出で居て

釣舟のとをらふ見れば いにしへのことそ思ほゆる

水江(みずのえ)の浦の島子(しまこ)が 鰹釣り鯛釣りほこり

七日まで家にも来ずて 海坂(うなさか)を過ぎて漕ぎ行くに

海神(わたつみ)の神の娘女(おとめ)に たまさかにい漕ぎ向ひ

相あとらひ言(こと)成りしかば かき結び常世に至り

海神の神の宮の 内の重(へ)の妙なる殿に

携(たづさ)はり二人(ふたり)入り居て 老いもせず死にもせずして

永き世にありけるものを

(以降、省略)

 

(大意)

霞みわたる春の日に、墨吉(すみのえ)の岸に出て腰を掛け、釣り船が通っていくのをみると、古の伝説が思い出される。

水江(みずのえ)の浦の島子(しまこ)が、自慢の腕で鰹を釣り、鯛を釣って、七日間家にも帰らずに、海原を遠く漕いで行くと、海の神の乙女にたまたま出会って声を掛け合い、思いが通じて結婚することになったので、ちぎりを結んでともに常世の国にやってきて、海の神の宮廷の奥深い麗しい御殿に、二人手を携えて入って住まい、不老不死の命を得て、永い時間を二人幸せに暮らしていたのに…

https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/32438

この後、浦の島子は、家に帰って父母に事情を話して来ようと思い妻に相談したところ、「またここに戻ってきて私に会おうと思うなら決して開けてはなりません」といって櫛司(小箱)を受け取ります。

ふるさとに帰ってみると家は跡形もなく、あたりの様子も様変わりしています。

何か手掛かりがあるかと思って箱を開けたところ、白雲が立ちのぼり、島の浦子はたちまち気を失い、若々しかった肌は皺だらけに、黒かった髪も白くなり、やがて息絶えて亡くなってしまったのです。

 

このように「常世国」のイメージは海と密接につながっており、専門的には「海上他界」と呼ばれます。「黄泉国」は「地中他界」とされ、この2つが古代日本における死生観において重要な意味を持っていたといえるでしょう。

 

「奈良絵本浦しま」

https://bunkasuishin.com/fukusei/urashima/

 

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