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歴史に刻まれたダイヤモンド(1) コ・イ・ヌール(Koh-i-Nur)

2025年8月19日

古くから多くの人を魅了してきたダイヤモンド。その中には伝説的なエピソードを纏ったものが少なくありません。歴史に刻まれたダイヤモンドをピックアップしてみます。

初回は「コ・イ・ヌール」です。

 

 

「コ・イ・ヌール(Koh-i-Noor)」はペルシャ語で「光の山」という意味です。

このダイヤモンドが発見されたのは紀元前ともいわれ、記録が残る中では世界最古のダイヤモンドとされます。

 

発見された地域は、おそらくインドで間違いありません。なぜなら18世紀までダイヤモンドが発掘されたのはインドしかないからです。

発見された時期については、インドの二大叙事詩のひとつ『マハーバーラタ』にこの石のことが記されており、そこから5000年以上前に発見されたのではないかという説があります。

『マハーバーラタ』の記述では、ガンジス川の支流ヤムナー川のほとりに捨てられていた子供の額から発見され、王に献上された後、ヒンドゥー教のシヴァ神の第3の眼に相当する位置に嵌め込まれたといいます。

 

実際の記録ベースでは、16世紀にムガル帝国の皇帝であるラジャ王の一族が所有し、その後もタージ・マハルを建てたシャー・ジャハーンなど当時のインド歴代朝廷の手元にありました。

「コ・イ・ヌール」という名前が付いたのは18世紀前半の1739年、ペルシャ王のナディールがインドに侵攻し、このダイヤモンドを目にした際、「光(noor)の山(koh)!」と叫んだことに因みます。

その後さらに、現在のアフガニスタンやインド北西部にあった多くの王朝や権力者の間を転々とし、最終的には1850年、当時インド各地に進出していたイギリスの東インド会社を経て、イギリスのビクトリア女王に献上されました。

 

「コ・イ・ヌール」は1851年、イギリスで開かれたロンドン万国博覧会に話題の品として出展されましたが、その輝きは意外に地味に見えたようです。落胆の声が新聞などに掲載されています。

当時の「コ・イ・ヌール」は表面をダイヤモンドの粉で軽く磨いただけのムガールカットと呼ばれる仕上げで、ダイヤモンド本来のきらびやかな輝きからはほど遠かったのです。

そこでイギリス王室ではダイヤモンドの研磨で最先端の技術を持つオランダ・アムステルダムから職人を呼び、オーバル・ブリリアンカットに研磨。

大きさは186カラットから105カラットに小さくなりましたが、格段に輝きを増すことに成功しました。

 

新たな輝きをまとった「コ・イ・ヌール」はエドワード7世のアレクサンドラ王妃の冠に取り付けられ、それ以来、ジョージ5世のメアリー王妃、ジョージ6世(女王エリザベス2世の父)のエリザベス王妃の冠に取り付けられてきました。

これは、何千年にもわたるその来歴から「男性が持つと不幸を呼ぶ」とされていたことを考慮したのではないかと言われています。

また、最近はインドをはじめパキスタン、アフガニスタンが「コ・イ・ヌール」の所有権を主張する動きがあります。

2022年、女王エリザベス2世が崩御し、長男のチャールズ3世が即位しましたが、翌年行なわれたカミラ王妃の戴冠式はインド独立後では初めてのことでした。この時、カミラ王妃の冠には「カリナンV」が取り付けられていました。

「コ・イ・ヌール」は現在はロンドン塔内にあるジュエルハウス(英国王室宝物館)に展示されています。

 

ミュンヘンの鉱物博物館にあるコ・イ・ヌールのガラス製イミテーション(上: 1851年以前のムガルカット、下: 1852年以後のブリリアンカット)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%8C%E3%83%BC%E3%83%AB

 

コ・イ・ヌールと、以前それがセットされていたイギリス王妃の冠

https://watch-jewelry-online.com/archives/1494

 

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