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歴史に刻まれたダイヤモンド(3) フローレンティン(Florentine)

2025年10月22日

古くから多くの人を魅了してきたダイヤモンド。その中には伝説的なエピソードを纏ったものが少なくありません。歴史に刻まれたダイヤモンドをピックアップしてみます。

今回はフローレンティン(Florentine)です。

 

 

「フローレンティン(Florentine)」は英語で「フィレンツェの」という意味です。その歴史は古く、数々の伝説的なエピソードに彩られていますが、一時期フィレンツェのメディチ家が所有していたことから「フィレンツェのダイヤモンド」とも呼ばれています。

記録によれば「フローレンティン」は137.27カラットあり、色は薄いイエローで、わずかに緑色が混じっていたといいます。

カットは世界で初めてというシンメトリーなファセットを持つペアシェイプだったとされます。

 

※ペアシェイプのイメージ

https://4cs.gia.edu/ja-jp/blog/pear-shaped-diamond-tips-picking-perfect-one/

 

※「フローレンティン」のレプリカ

https://en.wikipedia.org/wiki/Florentine_Diamond#:~:text=The%20Florentine%20Diamond%20is%20a,Diamond%2C%20and%20the%20Dufner%20Diamond.

「フローレンティン」の由来には不明な点が多くありますが、他の歴史的なダイヤモンドと同様、インドであることは間違いありません。なぜなら18世紀にブラジル、そして19世紀中頃に南アフリカで発見されるまで、ダイヤモンドはインドでしか産出されていなかったからです。

 

「フローレンティン」が歴史上、はじめて登場するのは15世紀のヨーロッパにおいてです。

現在のフランス東部で勢力を伸ばしていたブルゴーニュ公国のシャルル公(別名、豪胆公)が原石を所有しており、それを当時最先端のダイヤの研磨法を発見したフランドルの研磨師であるベルケムに依頼してペアシェイプにカットしたのです。

しかし、ブルゴーニュ公は1477年、ナンシーでの戦いで命を落とし、他の宝石と一緒に身に着けていたのを見つけた農民が、ガラスだと思って安値で売ったとされます。

 

その後、何人かの所有者を経て、北イタリアのフィレンツェを支配していたメディチ家のものとなります。メディチ家は16世紀、フィレンツェにトスカーナ大公国を樹立し、その大公となっていました。

フランスの宝石商であるタベルニエは1665年、メディチ家を訪れた際、トスカーナ大公から大きなダイヤモンドを見せてもらったことを記録しています。そのダイヤモンドは約137カラットで黄色を帯び、ファセットが美しくカットされていました。「フィオレンティーナ」という名称はここからきています。

 

1737年にメディチの家系が途絶えると、「フローレンティン」はフランス北東部にあったロレーヌ公国に移りました。そして、ロレーヌ公がオーストリア帝国の女王マリアテレサと結婚した際、今度はオーストリア帝国などを支配していたハプスブルグ家のもとに移ったのでした。

 

さらに1918年、第1次世界大戦が終わり、敗戦国であった当時のオーストリア=ハンガリー帝国が解体した際、君主であった皇帝カールI世は「フローレンティン」を持ってスイスへ亡命しました。

それ以降、「フローレンティン」は消息不明となりました。第2次世界大戦中にウィーンに戻ってきたという噂もあったようですが、真相は不明です。

 

長い歴史の中で多くの王侯貴族たちの間を転々とし、最後はその行方をくらませてしまった伝説のダイヤモンド。それが「フローレンティン」です。

 

 

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